樋口一葉の『にごりえ』には鮮烈な驚きを覚えていたので、台東区龍泉の街角にある一葉記念館にはぜひ足を運びたいと思っていた。その辺りはかつて吉原に出入りする職人や商人のまちだったという。街並みの復元図や写真をとおして龍泉寺町の往時に思いを馳せ、美しい千陰流で書かれた一葉の直筆にはただ嘆息するばかり。ここで構想された『たけくらべ』の原稿も展示されていた。
館を出て少し歩くと、そこは吉原。今は風俗店が並ぶ街区を抜ければ、やがて大門を過ぎ、見返り柳に至る。樹齢は若そうで、今はもう、ここから吉原を振り返るような風情は乏しい。
旅の目的は実はその先にあって、川のほうへやや進むと浄閑寺、通称「投込寺」に至る。昔、吉原の女郎が酷使や病いの末に絶命すると、この寺に投げ込まれたという。荷風はここへしばしば杖を引いた。昭和12年の日記には、「余死するの時、後人もし余が墓など建てむと思わば、この浄閑寺の塋域娼妓の墓乱れ倒れたる間を選びて一片の石を建てよ。」とまで書かれている。
その「娼妓の墓乱れ倒れたる」様をぜひこの目でもと勇んで墓地に入り、捜し歩くと、期待していた「乱れ倒れたる墓」はなく、代わりに新しい慰霊塔があって「新吉原総霊塔」と記されている。荷風の愛した侘しい風景はない。ところが、塔のなかを覗くと数え切れぬほどの骨壺が納められている。寺の人の話ではそこに眠る遊女2万有余という。墓の姿は変わっても、そこに漂う幽気には息つくことも許さないものがあった。焼香していると、真新しく供えられた花が目に入る。どんな人が供えたものだろうか。その向こうには大きなケヤキの木が佇む。荷風もこの木を眺めたに違いない、そう決めこんで、手を合わせた。